4.2.2.現在進行形の未来表現
現在進行形の未来表現は、現在時制の未来表現の意味に近く、すでに確定されている出来事ということができる。しかし、それでも現在時制の未来表現よりは確定度は低く、変更が可能な未来の出来事について用いられる形式である。その意味は、あらかじめ決められている「取り決め」である。
(7)
a. I'm having several people for dinner.
(私は夕食に数人を招待します。)
b. I'm bringing the apple pie to my aunt.
(私はおばさんのところにアップルパイを持っていきます。)
c. My parents are staying with me.
(私の両親は泊まっていく予定です。)
上の3例においては、すでに取り決められている未来の出来事ということができるが、意味上その出来事については変更が可能なことでもある。
(7a)は数人を招待するというようにあらかじめ決めていることではあるが、決して変更ができないことではない。(7b)ではアップルパイを持っていくこと、(7c)では両親が泊まっていくことを表しているが、いずれも変更可能である。この現在進行形の未来表現について時間表示に示すと、次のようになる。
(8)
上は現在時制の未来表現と同じ時間表示であるが、含まれている意味は異なる。出来事時(E)は未来に生じることなので、未来時に置かれるのだが、心の位置(M)は現在時制の未来表現と同様に、現在時に置かれたままである。
しかし、このことは出来事を現在の事実として捉えるというよりは、現在に存在している「原因または計画となることを話し手が心境に感じている」ことを表している。
(9)
a. The train is arriving at Sendai.
(電車は仙台に到着します。)
b. Is anyone else coming today?
(他に誰か今日来ますか。)
c. She is leaving Japan tomorrow.
(彼女は明日日本をたちます。)
d. We are playing next Saturday.
(私たちは次の土曜日に演奏をします。)
上の4例も現在進行形の未来表現である。現在から眺めた未来の出来事を表しているともいえる。
また、この形式自体が近い未来を表すことを特有の意味として持っているために、時を表す副詞についてはその共起が必然的ではなく、話し手によって「選択的」に加えられる。したがって、たとえ時を表す副詞が続いていなくても不自然とされることはないのである。そして、(9a)のように時を表す副詞がない場合は、自然に「近い未来」を示していることを言外に含むことになる。
ところで、上の例にあるtomorrowやnext Saturdayは時を表す副詞であり、それが相当する心の位置(M)は未来時に移動してもよさそうである。しかし、出来事の生じる原因や計画は現在に存在し、話し手の焦点はそこに強く置かれているために現在時に置かれる。(*21)
*21 |
この形式でも離れた未来を示す副詞を続けることができないわけではない。
When I grow up, I'm joining the police force.
(僕は大きくなったら、警察官になります。) (Leech:1987)
上の例では遠い未来を示す副詞節When I grow upが用いられている。しかし、未来に生じる出来事については副詞が示す時間的な距離に関係なく、現在に何らかの原因や計画が存在していなければならない。上の例では、話し手が大人になったときの願望を表しているが、このとき話し手の願望に対する意図が現在に存在していることになる。したがって、副詞のために話し手の焦点が未来に向かっているようでも、現在に強い焦点が残っていることになる。
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